京都の世界遺産はいくつあるかご存じですか?
その数は点在する17か所の寺社と城郭で構成されます。
京都の世界遺産の配置マップ、その見どころや、アクセスをまとめました。
1.賀茂別雷神社(上賀茂神社)
2.賀茂御祖神社(下鴨神社)
3.教王護国寺(東寺)
4.清水寺
5.延暦寺
6.醍醐寺
7.仁和寺(別称・御室御所)
8.平等院(京都府宇治市)
9.宇治上神社(京都府宇治市)
10.高山寺
11.西芳寺(別称・苔寺)
12.天龍寺
13.鹿苑寺(相国寺塔頭、別称・金閣寺)
14.慈照寺(相国寺塔頭、別称・銀閣寺)
15.龍安寺(妙心寺塔頭、石庭が世界的に有名。)
16.西本願寺(本願寺)
17.二条城
目次
京都世界遺産の配置マップ
京都の世界遺産は京都全域から滋賀に点在しています。
観光で回るなら、効率よく回る必要があります。
グーグルマップによる京都世界遺産の配置マップ
全体の配置図
1.賀茂別雷神社(上賀茂神社)
神代の昔、本社の北北西にある、秀峰神山(こうやま)[右図]に御降臨になり、天武天皇の御代(678)、現在の社殿の基が造営されました。
本殿御鎮座以後も広く庶民の信仰を集め、皇室の御崇敬は歴代にわたり、行幸啓は枚挙にいとまなく、国家の重大時には必ず奉幣、御祈願がありました。
嵯峨天皇は御杖代(みつえしろ)として皇女有智子(うちこ)内親王を斎王(さいおう)と定め、その制度は以来三十五代、約四百年続きました。
http://www.kamigamojinja.jp/history/index.html
2.賀茂御祖神社(下鴨神社)
平安時代以前に創建された京都最古の神社のひとつで、山城国一の宮とされて崇められました。広大な境内を囲む森は「糺(ただす)の森」と呼ばれ、 世界遺産の一部となっています。5月15日の葵祭は、京都三大祭のひとつで、平安の王朝絵巻を再現する祭りとして名高く、京都への観光客も多く訪れます。
下鴨神社について、もっとくわしく
http://kazenotabi-kyoto.com/courseguide/kyotogosyo-simogamo.html
3.教王護国寺(東寺)
真言宗の根本道場であり、東寺真言宗の総本山でもある。「教王護国寺」(きょうおうごこくじ)とも呼ばれる(名称については「寺号」の節を参照)。山号は八幡山。本尊は薬師如来。寺紋は雲形紋(東寺雲)。
東寺は平安京鎮護のための官寺として建立が始められた後、嵯峨天皇より空海(弘法大師)に下賜され、真言密教の根本道場として栄えた。中世以降の東寺は弘法大師に対する信仰の高まりとともに「お大師様の寺」として庶民の信仰を集めるようになり、21世紀の今日も京都の代表的な名所として存続している。
http://www.toji.or.jp/about.shtml
教王護国寺(東寺)へのアクセス
4.清水寺
清水寺は法相宗(南都六宗の一)系の寺院で、広隆寺、鞍馬寺とともに、平安京遷都以前からの歴史をもつ、京都では数少ない寺院の1つである。
平安時代以前から存続するお寺として、世界的にも有名。
「清水寺」という寺名は、音羽山中より今もなお途切れることなくこんこんと湧き、音羽の滝に流れる霊泉に由来しています。この霊泉は「すべての人を救う」観音さまのご利益とあわせ、古来より無病息災、立身出世、財福、良縁、子授けといった現世利益を願う善男善女を集め、「清水の観音さん」の名で全国に広く信仰を得てまいりました。
開創は宝亀9年(778)、奈良時代の末で、山号は音羽山。宗派は北法相宗です。「北」は南都・奈良に対して北の京都に立地するという意味をもっています。東山・音羽山の中腹に広がる13万平方メートルの境内に、国宝、重要文化財を含む15の伽藍が建ち並びます。そのほとんどが江戸初期の再建であり、平成6年(1994)にユネスコ世界文化遺産「古都京都の文化財」のひとつとして登録されました。
「清水の舞台から飛び降りる」の語源となった本堂の舞台、音羽の滝などが特に知られていますが、緑深い境内には、様々な意匠の堂宇があります。どうぞゆっくりと拝観されて、野鳥が囀る美しい自然のなかで心静かに手を合わせ、観音さまとのご縁をお結びください。
http://www.kiyomizudera.or.jp/about/index.html
音羽の滝
http://matome.naver.jp/odai/2135462519892914801/2135464022694943303
清水寺へのアクセス
5.延暦寺
https://www.flickr.com/photos/cyber0515/9163084712/
比叡山は古代より「大山咋神(おおやまくいのかみ)」が鎮座する神山として崇められていましたが、この山を本格的に開いたのは、伝教大師最澄(でんぎょうだいしさいちょう)上人(766~822)でありました。最澄は延暦7年(788年)、薬師如来を本尊とする一乗止観院(いちじょうしかんいん)(現在の総本堂・根本中堂)を創建して比叡山を開きました。
最澄が開創した比叡山は、日本の国を鎮め護る寺として朝廷から大きな期待をされ、桓武天皇時代の年号「延暦」を寺号に賜りました。
最澄は鎮護国家の為には、真の指導者である「菩薩僧(ぼさつそう)」を育成しなければならないとして、比叡山に篭もって修学修行に専念する12年間の教育制度を確立し、延暦寺から多くの高僧碩徳を輩出することになりました。
特に鎌倉時代以降には、浄土念仏の法然上人、親鸞聖人、良忍上人、一遍上人、真盛上人、禅では臨済宗の栄西禅師、曹洞宗の道元禅師、法華経信仰の日蓮聖人など日本仏教各宗各派の祖師方を育みましたので、比叡山は日本仏教の母山と仰がれています。
比叡山延暦寺の最盛期には三千にも及ぶ寺院が甍を並べていたと伝えていますが、延暦寺が浅井・朝倉両軍をかくまったこと等が発端となり、元亀2年(1571)織田信長によって比叡山は全山焼き討ちされ、堂塔伽藍はことごとく灰燼に帰しました。
その後、豊臣秀吉や徳川家の外護や慈眼(じげん)大師天海大僧正(1536~1643)の尽力により、比叡山は再興されました。
さらに明治初年の神仏分離や廃仏毀釈の苦難を乗り越えて現在に至っております。
信長焼き討ち以後、千日回峰行や12年篭山行も復興されています。また昭和62年(1987)8月に、世界から仏教、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教、シーク教、儒教の七大宗教の代表者が集まり、世界平和実現の為に対話と祈りを行う「世界宗教サミット-世界宗教者平和の祈りの集い-」が開催され、以降8月4日に比叡山山上にて毎年開催しております。
http://www.hieizan.or.jp/about/history
6.醍醐寺
慶長3年(1598)の春、秀吉が開いた盛大な花見の宴。近畿各地からつぼみをつけた桜を700本取り寄せ、植樹、三宝院の建物と庭園を造り、豪華絢爛な花見が催されました。当時としては日本最大規模の花見だったといわれています。これにちなんで毎年4月の第2日曜日には「豊太閣花見行列」が開催されます。京都の行ってみたいさくら名所100選にも選ばれています。「醍醐の花見」は豊臣秀吉や北政所、淀殿らの近親者から諸大名やその配下のものまで約1300人を召し抱えた盛大な催しで、秀吉一世一代の催し物と言われています。
秀吉が晩年に催した「醍醐の花見」は九州平定直後に催された北野大茶湯と双璧をなすとも言われています。花見に招かれたのはなんと女性ばかり!ハーレムですね(笑)。秀吉・秀頼以外には前田利家の名しかなかったそうです。この花見で詠まれた和歌の短冊は今でも「醍醐花見短冊帖」として三宝院に保管されています。
http://find-travel.jp/article/640
7.仁和寺(別称・御室御所)
平安時代初期(888年)に第59代宇多天皇によって創建。御室御所(おむろごしょ)という別名の通り皇室と縁が深く、明治期まで皇族が住職を務めた格式高い寺院です。その面影を残す「御殿」の宮廷風建築は一番の見どころ。京都一の遅咲きといわれる仁和寺の御室桜(おむろざくら)は4月中旬から下旬が見頃。紅葉の名所としても有名で、金堂へ続く参道の紅葉は見事です。因みにグローバル企業となったOMRON(オムロン)の社名はここ御室(おむろ)が発祥である事に由来しています。
http://kinukake.com/sights-ninnaji.html
8.平等院(京都府宇治市)
http://www.byodoin.or.jp/ja/about.html
永承7年(1052)、時の関白藤原頼通が、父 道長より譲り受けた別業を仏寺に改め、平等院としました。この年は末法初年に当たるとされ、末法思想が貴族や僧侶らの心をとらえ、極楽往生を願う浄土信仰が社会の各層に広く流行していました。その翌年の天喜元年(1053)には阿弥陀堂(鳳凰堂)が落慶し、堂内には、平安時代の最高の仏師定朝によって制作された丈六の阿弥陀如来坐像が安置され、華やかさを極めたとされています。約1000年前に建立された建造物や仏像が今に伝えられ、世界遺産にも登録されております。
http://www.byodoin.or.jp/ja/about.html
色あせてしまった柱や屋根瓦は、当時(平安時代)の赤や黒の独特の風合いが復元されたんですよ!平等院鳳凰堂の見所がさらに増えますね♪
1000年の時を経た今でも藤原一族による摂関政治時代の華やかさがひしひし伝わってくる豪華な建築です。池の水面に映し出される逆さ富士ならぬ逆さ鳳凰堂の姿もまた美しいですよ。内部は別途料金を支払えばいつでも見ることが出来ます。
鳳凰堂は天喜元年(1053年)に建立された阿弥陀堂で、明治35年から40年、昭和25年から32年、平成24年から26年と3度にわたり大掛かりな修理が行われています。東向きにつくられ、朝日を正面から受けるようになっています。
http://find-travel.jp/article/573
9.宇治上神社(京都府宇治市)
宇治上神社とは?
京都府宇治市にある宇治上神社の本殿は1060年頃に建てられた、現存最古の神社建築です。世界文化遺産に登録されていて、本殿と拝殿は国宝です。菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)(弟君)、応神天皇(父君)、仁徳天皇(兄君)がが祀られています。
宇治川の東岸にそびえる朝日山の山麓に鎮座している神社で、「古都京都の文化財」を構成する資産のひとつとして世界遺産に登録されています。創建の詳細は不明とされており、平安時代中期に神様のお告げを受けた第60代天皇・醍醐天皇が社殿を造営したことが始まりであるという説もありますが、定かではないようです。また、隣接して鎮座する宇治神社とは対をなす、二社一体の存在となっているのだそう。宇治上神社の魅力
平等院と近いのですが、訪れる人が少なく「穴場」です。本殿と拝殿のみというシンプルなもので、「世界一狭い世界遺産」と言われているとか。派手な色彩や装飾はありませんが、湧水が流れ、厳かで清らな空気の中に佇んでいます。
世界遺産に登録されたことで徐々に人々の注目を集め始めましたが、そうでなれば訪れる人も滅多にいなかったのではないかと言われるほど地味でこぢんまりとした境内です。ですが、境内の建築物は平安時代および鎌倉時代に建てられたもので、文化財としての価値が非常に高いことが世界遺産に登録された大きな理由なのだそう。1000年以上もの歴史を有する建築物だなんて歴史のロマンを感じますよね。
http://find-travel.jp/article/20076
10.高山寺
高山寺に伝わる鳥獣人物戯画(鳥獣戯画とも)の絵巻が有名で世界遺産に登録されているお寺です。また、栂尾(とがのお)山・高山寺、槙尾(まきのお)山・西明寺、高雄山・神護寺は三尾の名刹として知られ、京都屈指の紅葉の名所です。
http://kyoto-sampo.jp/kanko/kozanji.html
11.西芳寺(別称・苔寺)
約120種の苔が境内を覆い、緑のじゅうたんを敷きつめたような美しさから苔寺とも呼ばれる。
庭園(史跡・特別名勝)は、上下二段構え。上の枯山水と、下は池泉回遊式で黄金池は「心」の字を描いている。
庭園内の茶室・湘南亭は、重要文化財に指定されている。
http://www.pref.kyoto.jp/isan/saihouji.html
■苔寺の魅力■
庭園内を約120種類の苔が覆い、まるで緑のじゅうたんを敷き詰めたような美しさから苔寺と呼ばれています(正式名称は西芳寺)。約3万平方メートル(約9千坪)にも及ぶ庭園は年間を通して非常に美しい景観を楽しませてくれます。特に紅葉の季節には庭園内の木々たちと、苔たちとの絶妙なコントラストが見るものの目を奪うことでしょう。私たちが苔寺を訪れたときは小雨が降っていたのですが、雨を浴びた苔たちがより一層、生き生きと際立った緑色を見せてくれました。
http://tabinoshiori.web.fc2.com/kokedera.html
12.天龍寺
臨済宗天龍寺派大本山。霊亀山天龍資聖禅寺というのが正式名称。本尊は釈迦如来、脇士普賢菩薩・文殊菩薩。もともとは嵯峨天皇の皇后橘嘉智子が営んだ壇林寺があった。その後嵯峨法王が亀山殿を造営。のちに孫の後醍醐天皇に伝領されたが、その後荒廃していた。天龍寺が成立したのは1339(歴応2)年、足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため、勅願寺として建立した。足利尊氏に天龍寺の建立を奨めたのは夢窓疎石である。 臨済宗天竜寺派総本山。一時は京都五山一位。以前は150以上の塔頭が建ち並んだが応仁の乱で衰退した。 嵐山と亀山を借景にし、曹源池(そうげんち)や白砂、石組みを配した池泉回遊式庭園がみもの。この庭園は開山の夢想国師の作庭といわれている
法堂の天井に描かれた雲龍図はスゴイ。 春は枝垂れ桜、秋には紅葉が美しい。毎月第三日曜の午後五時から座禅会が開かれている。参加は無料
http://www.kyotokanko.com/t_tenryuji.html
13.鹿苑寺(相国寺塔頭、別称・金閣寺)
http://goo.gl/CSgJ5L
金閣寺として有名
正式名称を鹿苑寺といい、相国寺の塔頭寺院の一つ。舎利殿「金閣」が特に有名なため一般的に金閣寺と呼ばれています。
元は鎌倉時代の公卿、西園寺公経の別荘を室町幕府三代将軍の足利義満が譲り受け、山荘北山殿を造ったのが始まりとされています。
金閣を中心とした庭園・建築は極楽浄土をこの世にあらわしたと言われ、有名な一休禅師の父である後小松天皇を招いたり、中国との貿易を盛んにして文化の発展に貢献した舞台で、この時代の文化を特に北山文化といいます。義満の死後、遺言によりお寺となり、夢窓国師を開山とし、義満の法号鹿苑院殿から二字をとって鹿苑寺と名づけられました。
http://www.shokoku-ji.jp/k_about.html
正式名称は『鹿苑寺』で室町幕府三代将軍足利義満の別荘として建てられたもの。金色の舎利殿は釈迦の骨を奉るためのもで信仰の深さが伺いとれます。三階建てのこの舎利殿は建築様式が全て異なり、室町初期の北山文化を代表するものとして日本だけでなく世界的にも評価が高い建造物なのです。
舎利殿の金色から「金閣寺」と名付けられました。 建物はシンプルな作りでありながら、その存在感には圧倒されます。極楽浄土をあらわしたとされ、様々な歴史要人もこの場所を訪れました。
金閣寺は3層構造で誰が見ても豪華な造り!2層目、3層目には漆に金箔が押されています。1層(初層)は寝殿造り、2層は武家造り、3層は禅宗仏殿造りと各層ごとに別々の建築様式を用いた異色の造りになっています。
http://find-travel.jp/article/913
14.慈照寺(相国寺塔頭、別称・銀閣寺)
銀閣に銀が使われていない理由は明確ではありません。
単に当時、財政難だったという説と、元は銀閣寺という通称はなく元々銀箔など貼るつもりは無く、金閣寺を模して作った為、江戸時代初期頃から北山の金閣寺に対して、東山の銀閣寺と呼ばれるようになった説があります。
http://goo.gl/aLatJs
正式名称を東山慈照寺といい、相国寺の塔頭寺院の一つ。銀閣寺の名の由来は江戸時代、金閣寺に対し、銀閣寺と称せられることとなったといわれています。
室町幕府八代将軍の足利義政によって造営された山荘東山殿を起原とし、義政の没後、臨済宗の寺院となり義政の法号慈照院にちなんで慈照寺と名付けられました。
九歳にして家督を、十五歳にして将軍職を継いだ義政は、生涯をかけ自らの美意識のすべてを投影し、東山文化の真髄たる簡素枯淡の美を映す一大山荘を作り上げました。銀閣寺は美の求道者ともいえる義政の精神のドラマを五百年後の現代にも脈々と伝えています。
http://www.shokoku-ji.jp/g_about.html
金閣寺のような派手さはないものの四季折々で様々な表情を見せてくれるのが銀閣寺の魅力です。
http://goo.gl/aJYs9V
15.龍安寺(妙心寺塔頭、石庭が世界的に有名。)
龍安寺最大の見どころは、なんといっても日本を代表する枯山水の庭園です。枯山水とは、石や砂などにより山水の風景を表現する庭園様式。
幅25m、奥行き10mのおよそ75坪ほどの敷地に白砂を敷き詰め、15個の石を五、二、三、二、三と、一見無造作に点在させただけのシンプルな庭園に見えますが、禅宗文化が発達していた時代的背景からみて、禅の境地が込められた庭園といえます。
枯山水の作者は諸説ありで、開山の義天玄詔、開基の細川勝元、室町幕府に仕えていた絵師・相阿弥などと言われています。しかしどれも確証はなく、現在でも不明となっています。背後の土壁は石庭を引き立てるための重要な要素で、枯山水ばかりに気を取られず背後の紋様も見て頂きたい一つです。
方丈庭園としても有名な石庭は国史跡であり、特別名勝にも指定されています。草木などが1本も植えられていない枯山水は一見殺風景にも思えますが、庭を囲う土壁と無造作に置かれたような大小の石、白砂と共に眺めていると時を忘れてしまいます。
龍安寺に訪れた際に、ぜひ数えていただきたいのが庭に立ち並ぶ石の数です。ちなみに石の数は全部で15個。15個全て確認できましたか?庭をどの角度から眺めても必ず1個の石は他の石に隠れて見えないように作られているのだとか。
大きな石と小さな石がひとつずつ。
でも角度を変えてみると…
大きな石の陰にもうひとつ石があったのです。
では、なぜそのような配置をしたのか、気になりませんか?東洋の世界では「15」という数字は完全を表す数字。どの角度から眺めても必ず1個の石は隠れて見えないように作られている庭はつまり「不完全」な庭ということになります。
そこには、自分自身を見つめて、常に足りないものを見つめ、今の自分に常に感謝する心を忘れてはならないという思いが込められているのです。
石庭のモチーフは大海原に浮かぶ島や「心」の字に配置している、中国故事を表現しているなどさまざまです。しかし枯山水と同じくどれも確証がありません。謎ばかりの龍安寺枯山水。その解釈などは見る人に委ねられているのかもしれませんね。
また、この枯山水は「虎の子渡しの庭」や「七五三の庭」などの別称があります。「虎の子渡しの庭」というのは中国の説話「虎、彪を引いて水を渡る」に基づくもの。「七五三の庭」は東から5・2・3・2・3の5群で構成される石組を5と2で七石、3と2で五石、3の三石と七・五・三の3群ともとれ、古来より奇数は陽数、おめでたい数でありその真中の数字を取ったともされています。
http://find-travel.jp/article/538
16.西本願寺(本願寺)
浄土真宗本願寺派の本山。1272年(文永9)宗祖・親鸞聖人の末娘覚信尼が京都の東山大谷に建立した廟堂に始まる。第3代覚如上人のときに本願寺と公
称。第8代蓮如上人の尽力により大教団に発展。その後、寺地は大阪、和歌山などを転々とした後、1591年(天正19)豊臣秀吉が寺地を寄進、現在地に
移った。1602年(慶長7)本願寺は東西に分立。御影堂と阿弥陀堂はともに国宝。書院の庭園(特別名勝)は桃山文化を代表する枯山水様式。その他、わが
国最古の能舞台である北能舞台、唐門など桃山文化を今に伝える国宝建造物を多数有している。美術工芸品では三十六人家集(国宝)などを所蔵。1994年
(平成6)12月「古都京都の文化財」として、世界文化遺産に登録された。
https://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=1&ManageCode=1000114
17.二条城
http://www2.city.kyoto.lg.jp/bunshi/nijojo/
二条城(にじょうじょう)は、京都市中京区二条通堀川西入二条城町にある、江戸時代に造営された日本の城である。京都市街の中にある平城で、後述する足利氏、織田氏、豊臣氏、徳川氏によるものがあるが、現在見られるものは徳川氏によるものである。また、後の近代において二条城は京都府の府庁や皇室の離宮として使用された。城内全体が国の史跡に指定されている他、二の丸御殿(6棟)が国宝に、22棟の建造物と二の丸御殿の障壁画計1016面が重要文化財に、二の丸御殿庭園が特別名勝に指定されている。さらに1994年(平成6年)にはユネスコの世界遺産(世界文化遺産)に「古都京都の文化財」として登録されている。
徳川家康の将軍宣下に伴う賀儀と、徳川慶喜の大政奉還が行われ、江戸幕府の始まりと終焉の場所でもある。
ウィキペディア
二条城の魅力は、やはり美しい平城の形を現在まで残していることでしょう。
天災に襲われながら、復興を遂げてきた「二条城」。日本の100名城としても知られています。
決して高い石垣や天守閣を持つ訳ではありませんが、美しい平城の魅力を私達に教えてくれています。
http://find-travel.jp/article/5573